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朝ドラ「ばけばけ」史実では庄田多吉と結婚!野津サワ(円井わん)のモデル・山脇房子、渡部トミの生涯

朝ドラ「ばけばけ」史実では庄田多吉と結婚!野津サワ(円井わん)のモデル・山脇房子、渡部トミの生涯

朝ドラ「ばけばけ」には、魅力的な人物が数多く登場します。主人公・トキの親友である野津サワもそのひとり。

実はこの野津サワ、モデルとなった人物がいました。モデルとなったのは、明治の教育者である山脇房子渡部トミ。モデルは二人だったのです。

房子とトミは当時少数であった女性の教員として奉職。日本の人材育成のために尽力した女性です。

房子とトミは、何を思い、何を目指して、どう生きたのか。房子とトミの生涯について触れてみましょう。

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校長と社会活動家の二刀流!女性の社会進出を後押しした山脇房子

慶応3(1867)年7月5日、山脇房子は出雲国松江北田町で、松江藩士・小倉忠の長女として生を受けました。

同年10月には大政奉還が、翌慶応4(1868)年には、鳥羽・伏見の戦いによって江戸時代終わりを告げました。

明治となった世では、旧武士(明治は士族)の身分は安泰ではありません。女性も自身の道を切り開く必要性に迫られていきます。

新しい時代で、房子が特に力を入れたのが学問、とりわけ西洋の知識でした。

明治16(1883)年、房子は松江女子師範学校を卒業。教員としての資格を得ています。

しかし房子は、すぐに教員の道に進まず、新しい知識を貪欲に深めます。

卒業後、房子は仙台でアメリカ人宣教師スワルツ夫妻のもとで半年間英語を学びました。

明治18(1885)年には上京。イギリス人ホールで2年間にわたって経済学や文学の知識を深めます。

さらにイングランド国教会の宣教師カロライン・カルクスの元で英語や西洋の作法を学びました。

朝ドラ「ばけばけ」では、野津サワが勉学に励むシーンが度々強調されます。

モデルとなった房子自身も、教育者としての知見を深め、新しい時代に適用するために取り組む女性でした。その姿はおサワと重なる部分もありますね。

やがて成長した房子は、生涯の伴侶と巡り合います。

明治27(1894)年、行政裁判所評定官・山脇玄と結婚。玄は医者の息子であり、留学して法学を学んだ人物でした。

玄との出会いは、房子を教育だけでなく社会運動への参加へ繋げていったようです。

明治33(1900)年11月、房子は鳩山春子らと共に少女衣服改良会を設立。翌明治34(1901)年11月には、足尾鉱毒事件の被害者救済のために鉱毒地救済婦人会を立ち上げました。

しかし教育者としての情熱も消えていません。

明治36(1903)年、玄が設立した女子実脩学校の校長に就任。近代的な女子教育の中心的立場となって活動します。

同校は明治41(1908)年に山脇高等女学校に改組。女子の高等教育機関として、女子教育の充実と女性の地位発展に寄与していきます。

房子は女子教育に力を入れながら、社会運動との関わりを重要視していました。

大正4(1915)年1月には、津田梅子らと共に発起人とし大正婦人会を設立。労働者のための託児所を設置するという近代的な取り組みを行なっています。

同年には、房子の今までの取り組みが評価され、津田らと共に勲五等宝冠章を、昭和3(1928)年には勲四等瑞宝章を授与されています。

昭和10(1935)年11月19日、房子は世を去ります。享年68。

まだまだ女性の社会進出や権利が不安定な時代に、女性の社会運動と女子教育に一生を捧げた人生でした。

2ページ目 庄田多吉のモデルと結婚していた?教員渡部トミとは…

 

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