世が世であれば…男に騙され、売り飛ばされた没落華族・松平義子の悲劇
「世が世であれば……」
名門の末裔などが不遇を嘆いて口にするこのセリフ。明治維新によって世の中が大きく変わる混乱の中で、既得権益を失った者たちのエピソードは、枚挙にいとまがありません。
今回はそんな一人・松平義子(まつだいら よしこ)を紹介。いわゆる「いいとこのお嬢様」が、あれよあれよと転落していく人生は、人々の胸を痛めたと言います。
いったい、どんな人生だったのでしょうか。
没落華族の御家再興を期待されるも……
松平義子は生年不詳、父の松平信安(のぶやす)はもと出羽国上山藩(現:山形県上山市)藩主で、明治時代に入って上山藩知事、芝大神宮(現:東京都港区)の社司を歴任する華族(子爵)でしたが、永年の放蕩三昧が祟ってその座を返上させられてしまいます。
華族から一般庶民へと転落した信安は大正7年(1918年)、失意の内に亡くなりますが、遺された妾のたまと五人の子供たちは、本郷(現:東京都文京区)に身を寄せ合って暮らしました。
(義子の生母は不明ですが、たまが産んだ子なのか、あるいはまた別の女性が産んだ子を引き取った可能性もあります)
当初、長男の松平信英(のぶひで)に御家再興(叙爵)を期待したものの、父譲りの性格で貧乏暮らしに耐えられず、家を飛び出して大阪へ行ってしまいました。
次男の松平信元(のぶもと)はまだ幼く、細々と暮らしていところへ関東大震災(大正12・1923年)が襲い、一家は離散してしまいます。
長女の松平八重子(やえこ)は結婚したものの、夫に騙されたのか、あるいはヒモだったのか、新橋の芸者に身を落として糊口をしのぐ生活を強いられ、次女の松平豊子(とよこ)も男に騙されてカフェの女給(ウェイトレス)兼ダンサーとして働かされたそうです。
華族生まれでおっとりしていたからカモにされてしまったのか、つくづく男運に恵まれない姉たちに続いて昭和7年(1932年)、義子の元にも縁談が舞い込みました。
「僕を婿養子にしていただければ、必ずや松平家を再興してみせましょう」
そう申し出たのは羽賀八郎(はが はちろう)。これにすっかり騙された老母は義子の意思も関係なく、八郎に嫁ぐよう命令します。
(嫌な予感しかしない……)
とは言え、現代と違って結婚に自由意思など存在しない時代でしたから、義子は八郎に嫁がされました。