男尊女卑が当たり前の江戸時代、数々の武勇伝を残した美人女伊達 「奴の小万」【後編】:2ページ目
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三好正慶尼の晩年
享和2年(1802)頃(文化2年西暦1805年という説も有)、年末も押し迫った大晦日の晩に、三好正慶尼は胸の不調を感じたといいます。そして除夜の鐘を聴きながら、
鳥鐘の声もをしまぬ年の丈
(夜明けを知らせる鳥や鐘の音も(聞けぬのが)惜しいとは思わぬ月日の長さよ)
という句を詠んで眠りにつきました。すると元旦の朝に目が覚めます。
未来かと思うや難波の初日影
(死後の世かと思ったが否(いな)難波の元旦の朝の光であった)
という句を詠んだといいます。
そして、
うしや世に又存命て何かせん 己が身ながら我に恥ずかし
という歌を絶筆として、数日後に波乱万丈の人生を終えて亡くなりました。
「奴の小万」の話は本人の意思とは別にして、人形浄瑠璃や歌舞伎、講談などで色々な脚色をされて今の世にまで残り続けています。
それは木津屋のお雪あるいは三好正慶尼の潔い生き方が時代を超えて人々に受け入れられ愛されている証なのだと思います。
(尚、句の意訳は筆者の未熟な解釈ですので、間違いがあればお知らせいただれば幸いです)
(完)
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