東京 銀座や丸の内、日本橋…浮世絵で見て歩く華やかな明治時代の洋風建築【番外編】
江戸の世が終わり明治に入ると新政府は積極的に西洋文化を取り入れ、人々の暮らしには今日に繋がる新たな習慣と文明が根付いていった。
江戸から明治への目に見えた大きな変化の一つが洋風建築だ。東京の銀座や丸の内を中心に建てられたそれらは文明開化の象徴として多くの浮世絵に描かれ、在りし日の華やかな姿はもちろん “近代国家日本”への歩みを私達に語ってくれる。
「浮世絵で見て歩く華やかな明治時代の洋風建築」と題し前編~後編に亘って、日本橋から銀座煉瓦街までの間に建てられた明治の洋風建築を錦絵で巡った。
東京 銀座や丸の内、日本橋…浮世絵で見て歩く華やかな明治時代の洋風建築【前編】
東京 銀座や丸の内、日本橋…浮世絵で見て歩く華やかな明治時代の洋風建築【中編】
東京 銀座や丸の内、日本橋…浮世絵で見て歩く華やかな明治時代の洋風建築【後編】
番外編ではコース外にあった建築を紹介し完歩とする。
日本鉄道史の始まり新橋停車場
1872(明治5)年9月12日、文明開化を語る上で外すことの出来ない鉄道が新橋~横浜間に開通した。幕末に外国から鉄道技術は伝わっていたが、幕府が崩壊したことで事業として実現するまでには少し時間を要している。
中心となって事業を推し進めたのは、大隈重信と伊藤博文、そして井上勝だ。井上については前者2名よりも知名度は低いようにも感じるが、幕末にイギリスへ密航して現地の大学で鉄道技術を習得し、今日では「日本の鉄道の父」と呼ばれている。
鉄道の開業よりも一足早い同年4月に完成したのが新橋駅舎だ。木造石張り2階建ての西洋建築で、設計はイギリス系アメリカ人リチャード・ブリジェンス。
幕末に来日したブリジェンスは横浜外国人居留地の土木事務所に勤務し、周辺の英国領事館の設計なども担当した。
前編から度々登場する2代目清水喜助は早い段階からブリジェンスと仕事をしており、その経験が第一国立銀行や三井ハウスの設計に活きている。
2ページ目 ブリジェンスと喜助がタッグを組んで完成させた築地ホテル館