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実に世知辛い…鎌倉時代の随筆『徒然草』が伝える吉田兼好のがっかりエピソード

実に世知辛い…鎌倉時代の随筆『徒然草』が伝える吉田兼好のがっかりエピソード

暗い夜道を歩いていると、急に防犯ライトのセンサーが反応して灯りがパッと点く光景というものは、頼もしく感じる反面、自分が犯罪者予備軍として疑われているのでは?と思ってしまうことも少なくありません。

とかく世知辛い昨今なれば仕方もあるまいとは思いながら、こういう心情は昔も変わらなかったようで、今回は鎌倉時代の随筆集『徒然草(つれづれぐさ)』より、筆者の吉田兼好(よしだ けんこう)が体験した、とあるがっかりエピソードを紹介したいと思います。

せっかくの感動を……吉田兼好、がっかりの巻

ある年の10月ごろ、京都郊外の来栖野(くるすの。現:京都市東山区)を過ぎて山道へ入っていった時のこと。

苔むした細い道を踏みしめて進んで行くと、心細げな一軒家を見つけました。庭の懸樋(かけひ。水をめぐらすためにかけた樋)からしたたる水滴の音よりほかは、しんと静まり返っています。

屋外の閼伽棚(あかだな。祭壇)には菊の花や紅葉の枝などが飾ってあり、なんとも閑雅な風情に「さぞや『もののあはれ』を解する方がお住まいなのだろう」と感心していると、向こうの木々に黄色い輝きを発見しました。

「おぉ……!」

見上げれば柑子(こうじ。コウジミカン)がたわわに実り、今にも滝のようにこぼれ落ちて来そうな大迫力です。

もっと、もっと近くで見たい。何なら柑子の滝に打たれ、その怒涛に呑み込まれてみたい……年甲斐もなく夢中になって近づいてみると、その根元には厳重な囲いがしてあるではありませんか。

(……あーあ……)

何だか、自分が「柑子を盗もうと思って近づいたのかと疑われた」ような気分になり、がっかりと興醒めしてしまいました。まして純粋な感動の直後だったので、その落差も大きなもの。

まぁ、瓜田李下(かでんりか)とは言うけれど……この囲いさえなければ良かったのに、とかく世の中はこういうものだと嘆息しながら、トボトボ帰っていったのでした。

※瓜田李下……瓜(うり)の畑で靴ひもを結び直そうとしゃがみこんだり、李(すもも)の木の下で冠を直そうと両手を上げれば、それを盗む姿と非常に紛らわしく、疑われても仕方がない=紛らわしいことをするな、という教訓および故事成語。

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