秀吉だけでは天下取りはできなかった! 豊臣秀吉を支えた名補佐役・北政所ねねの手腕【前編】:2ページ目
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ねねの持つ天性の魅力が多くの人を惹きつけた
信長に目をかけられたように、ねねには人の心を惹きつける天性の魅力があったのかもしれません。それを物語るような史実がたくさんあります。
豊臣家中の人々を管理、豊臣政権を内部から支えた
秀吉が大名から天下人へと上り詰めるにつれ、豊臣家には家臣団はもちろん、その他にも多くの人々が属することになります。
その中には、羽柴秀勝、結城秀康など織田家や徳川家をはじめとする諸大名から迎えた多くの養子がいました。
また、親戚の中からも、加藤清正、福島正則など、才能ある子どもを将来の幹部候補生として養育していたのです。
さらに、20人近いと推測される秀吉の側室やその付き人、人質として預かっていた諸大名の妻子など、数えきれないほどの人々が豊臣家におり、その管理はねねに一任されていました。
2代将軍・徳川秀忠は生涯ねねを保護した
人質の中には、江戸幕府2代将軍となる徳川家康の三男秀忠もいました。大切に育てられた秀忠は、ねねに対し生涯にわたり恩義を感じていたようです。
豊臣家が衰退をたどる中、ねねに対し距離をおいた対応をとる家康とは異なり、秀忠は、彼女の所領を保証し、生涯においてその生活を保護しました。
このように、秀吉の側室や女房衆の管理だけでなく、養子や人質の養育も一身に背負うというねねの活動は、譜代の家臣を持たない豊臣家を内部から支える大きな力となっていたのです。
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