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独占欲強すぎ!日本神話で活躍した荒ぶる英雄「スサノオ」の愛妻ぶりを紹介

独占欲強すぎ!日本神話で活躍した荒ぶる英雄「スサノオ」の愛妻ぶりを紹介

クシナダヒメを櫛に変えた、スサノオの独占欲

こうして見事に勝利を収めたスサノオですが、クシナダヒメを櫛の姿に変えた理由は、いくつかの理由が考えられます。

まず、姿を変える(隠す)ことでヤマタノオロチから守ろうとしたこと、櫛にしたのは自分の髪に挿すことで紛失を防ぐと共に、女性の霊力(妹-いもの力)を得ようとしたこと、また櫛は多く竹材を使用していたため、竹の霊力(※)も期待していたのかも知れません。

(※)かつてスサノオの父イザナギが鬼女らに追われた時、櫛を投げて難を逃れた(たくさんのタケノコが生えて、それを食べている隙に逃げ延びた)故事があり、竹は縦横に繁茂する生命力としなやかな強靭さから、霊力を持つものと信じられていました。

※参考:妹(いも)の力について

日本は太陽=女性の国…神話の時代より男性を奮い立たせてきた「妹の力」とは

「元始、女性は太陽であった」とは女性解放運動家の平塚らいてう(ひらつか―。明治十九1886年~昭和四十六1971年)が発した言葉ですが、多くの男性にとって女性とは憧れであり、活力の源となってきたことか…

それに加え、櫛は婚姻関係を暗示していたとする説もあります。両親のアシナヅチ・テナヅチという名前は、それぞれ「足をなでて育てる(あし・摩づ・ち)」「手をなでて育てる」という意味もあり、『日本書紀』では脚摩乳・手摩乳(※)などと表記されます。

(※)乳とは母乳の意味だけでなく、それを与えるなどして「育てる」意味も含まれています。

つまり、両親が手足をなでさすって大切に育て上げた美しい愛娘を、なでる手足のない(※)櫛の姿に変えてしまうことで「お宅の娘さんを、これより我がものとする」という意思表示と解釈しているのです。

(※)手足がないと言えば蛇も手足がありませんが、アシナヅチを「足無しの神(ヅ=ツは『~の』を、チは神格を意味し、オロチのチと同じ)」、テナヅチを「手無しの神」として、彼らも蛇≒山の神であったとする説もあります。

「クシナダヒメを、ヤマタノオロチなんかにはもちろんのこと、両親にだって渡さない!もはや我だけのものなのだ!」

きっとスサノオは、生まれた時から母親を知らず(※)、ずっと満たされなかった寂しさを埋めてくれる存在として、クシナダヒメに一目ぼれしたのでしょう(ちょっとマザコン気味だったのかも知れませんね)。

(※)厳密に言うと、スサノオはイザナギが黄泉から還って禊(みそぎ。身体を清めること)で落とした鼻の垢から生まれているため、母親は存在しません。しかしスサノオは、イザナギの妻であるイザナミ(伊邪那美命。故人)を母と慕い、会いたがっていたのでした。

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