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日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午後7時~午後9時頃】:3ページ目
銭湯の終了時刻は湯が冷めるまで
こちらの絵はタイトルの通り、3人の美女が銭湯から帰る場面を描いたものです。
火事の多い江戸では、銭湯は防火のために夜6時頃までとされていましたが、実際には沸かした湯が冷める8時頃まで開いていたのです。
3人の女性が夜道を帰る道すがら、2匹の犬が喧嘩をしているのか声を上げています。
「一体なにごと!?」とばかりに女性が提灯の光で騒ぎの元を照らしています。言い換えれば、提灯の光で原因を確認したくなるほど、驚いたのでしょう。月の光以外、灯りの少ない夜は暗くて辺りは薄ぼんやりとしか見えないからです。
この絵の素晴らしさは、光と闇のコントラストをシャープに描き出し、光の当たる部分にスポットが当たっているように見えて、実は暗闇の中にいる様々な人の様子が描かれているところにあると思います。
闇の中に浮かび上がるのは“火の用心”の見廻りをする人々のや、
男性と思われる人物が左手には料理が入ったお重を持ち、右手には酒が入った“ちろり”と提灯を持っています。知り合いの家にでも行く途中でしょうか、それとも“虫聴き”に?
このように夜になってもまだこの時間帯は、さまざまな人が外で行動していたことが分かります。
夜に大金が落ちる街、吉原
「朝は魚河岸、昼は歌舞伎、夜は吉原」それぞれに千両もの大金が落ちるとも言われた吉原。しかしただ華やかなだけでなく、吉原で生きる遊女は必死で働いているのです。
上掲の浮世絵は、夜見世が始まってから2時間も過ぎたというのにまだ客がつきません。その間にも贔屓にしてくれる客へ“是非にもお会いしたい”というような手紙を書いて、必死に営業活動をしているのです。
ふと何か思いついたのか禿に耳打ちしています。行儀よく真面目に話を聞いている禿も自分が仕事をしているのだという自覚がきちんとあるのでしょう。
そうこうするうちに時間は午後9時頃を迎えます。
日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午後9時から午後11時頃】へ続きます。
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