戦国時代、謀殺されて怨霊となったアイヌの首領・ショヤコウジ兄弟のエピソード:3ページ目
怨霊となったショヤコウジ兄弟
かくして指導者を失ったアイヌたちは潮が退くように本拠地へと逃げ帰り、ショヤコウジ兄弟らの遺骸は館近くに埋葬され、「夷塚(ゑびすづかorゑみしづか)」と呼ばれるようになりました。
「おのれぇ……よくも騙しおったなぁ……っ!」
怨霊となったショヤコウジ兄弟は、それからも蠣崎家が出陣する度に土中より呻き声を上げるようになり、光広の孫である蠣崎季広(すえひろ)の代にアイヌとの講和条約「夷狄商舶往来法度(いてきのしょうはくおうらいのはっと)」が結ばれるまで、絶えることがなかったと言います。
※参考文献:
長谷川成一 編『北方社会史の視座 歴史・文化・生活 第1巻』清文堂出版、2007年12月
木村裕俊 訳『新羅之記録 現代語訳』無明舎出版、2013年3月
榎本進『アイヌ民族の歴史』草風館、2007年3月