庶民の足としても使われていた、江戸時代版タクシー「駕籠(かご)」の歴史:2ページ目
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料金は大体一里(約4キロメートル)につき、約400文ほど。現在の貨幣価値に換算すると約一万円相当でした。支払いはタクシーと同様、目的地についてから現金で支払うという形でしたが、目的地に到着してから持ち合わせがなかったら困るので、乗り込む前に値段を聞き、駕籠を引く人(駕籠かき)と値切り交渉を行うこともあったようです。
このように、次第に江戸時代の庶民のニーズを満たしていった辻駕籠ですが、次第にその数を増加し、1711(正徳元年)には1800挺ほどあったとされています。
一時期、幕府は庶民が駕籠に乗ることは贅沢であるとして、その数を減らそうとしたようですが、制限令などは次第に有名無実化していき、江戸時代後期には、各町に駕籠屋が広がるようになります。
その後、明治時代になって人力車が普及し始めると、時代の流れとともに姿を消していくのです。
参考
- 沢寿次・瀬沼茂樹 『旅行100年―駕籠から新幹線まで』(1968 参考日本交通公社)
- 歌川広重「新吉原衣紋坂日本橋」『江戸高名会亭尽』(国立国会図書館蔵)
- 歌川広重 「三島・朝露」『東海道五拾三次』(国立国会図書館蔵)
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