源頼朝の遺志を受け継ぎ武士の世を実現「鎌倉殿の13人」北条義時の生涯を追う【三】:2ページ目
ちょっと予定が押したけど…いよいよ挙兵!
定綱からの報せを受けて、頼朝は舅の北条時政(ときまさ)と北条宗時(むねとき)・義時兄弟を集めました。当然のごとく、頼朝の妻・北条政子(まさこ)も同席しています。
「……どうする?」
この場合、挙兵を取りやめることではなく、バレてしまった以上、日取りを早めるかどうかになってきます。
「ここは一刻も早く、山木判官を襲撃すべきではないか?」
「いや、今さら慌てたところで敵も待ち受けているだろう……万全の準備を整えた上で、予定通りに17日に決行した方がよかろう」
「佐々木殿、お父上は何と?」
決めかねた頼朝が定綱の発言を促すと「一度父の元へ戻り、武具や兵員を集めて来たい」とのことで、それなら日程に余裕をもって、予定通りの17日がよかろうと決しました。
「16日には戻ります」
「恃みにしておるぞ」
かくして定綱を見送った頼朝でしたが、佐々木一族が世話になっている渋谷重国は敵方であり、既に内通していないとも限りません。
「まぁ、佐々木殿が敵になるならなるで仕方ありません。どのみち挙兵する以上、我らは最善を尽くすまでのこと」
「まぁ……そうなるな」
しかし、8月16日になっても佐々木一族はやって来ず、頼朝は焦りを募らせます。
「昨日からずっと雨ですから、どこかの川が増水でもして、足止めを喰らっているのかも知れませんね」
翌17日の昼過ぎ(未の刻-およそ14:00ごろ)になってようやく佐々木一族が到着しましたが、増水した川を無理やり渡ろうとしてみんなボロボロになっており、多くの兵馬や武具などが流されてしまっていました。
「佐殿の門出に遅参したばかりか、多くの兵員・武具を失う始末……申し訳ございませぬ!」
それでも頼朝は泣いて喜び、困難にもめげずよく来てくれたと感動します。
「よし、これで全員揃った!あとはお天道様に恥じぬよう、堂々と戦おうぜ!」
「「「おおぅ!」」」
天地神明もご照覧あれ……二十年の雌伏を経て、いよいよ頼朝たちの出陣です。
【続く】
※参考文献:
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月
坂井孝一『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、2018年12月
阿部猛『教養の日本史 鎌倉武士の世界』東京堂出版、1994年1月
石井進『鎌倉武士の実像 合戦と暮しのおきて』平凡社、2002年11月