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中世日本「寄宿の咎・住宅検断」に見る犯罪=ケガレ観。まるでエンガチョ

中世日本「寄宿の咎・住宅検断」に見る犯罪=ケガレ観。まるでエンガチョ

法律は人間社会に即して定められ、往々にして時代の価値観を如実に表すもの。ゆえに現代人からすると理解しがたい条文や判例も散見され、それが歴史を学ぶ醍醐味となっていることもしばしば。

今回はそんな中から、中世のとある法的価値観を紹介。なかなかのギャップが味わえることでしょう。

転がり込んだ「とばっちり」

今は昔、ある所に茶屋を営んでいた男がおりました。そこへある日、傷だらけの男が転がり込んで来ました。その男は他所で喧嘩騒ぎを起こして刃傷沙汰に及んでおり、相手の抵抗を受けて負傷したようです。

事情を知らない茶屋の主人がうろたえていたところ、その男は深手を負っていたようで、治療をする間もなく息絶えてしまいました。

「いったい、何事じゃろうか……」

すると間もなく役人がやって来て、死んだ男を発見。事情を説明したところ、役人は主人を連行。そして「寄宿の咎(とが)」により、茶屋を検断(けんだん)されてしまいます。

※『大乗院寺社雑事記』より。

検断とは「検(あらた)め、断ずる≒判決を下す」ことを意味しますが、中世社会で家屋や建造物などを検断する場合、その結末はたいてい破却か焼却、あるいはその両方(破却の後に焼却)でした。

(※まれに身分の高い者の邸宅や寺社など、軽々に手が出しにくい場合は検封≒使用禁止処分が下されたこともあったようです)

要するに、主人は茶屋を破壊され、あるいは焼き払われてしまったのですが、いったい主人にどんな非があって、こんなとばっちりを喰らったのでしょうか。

2ページ目 罪=ケガレという価値観

 

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