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お江戸のタイムスケジュール 日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前3時から午前9時頃】

日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前3時から午前9時頃】

朝五つ(午前7時から午前9時頃)

子どもたちは寺子屋へ

さて、急いで旦那さんを仕事へ送り出した後、子供がいれば寺子屋へ行かせます。江戸時代、長屋に住む親たちも子供の教育は大事なものと考えていました。字も読めない、数も数えられないではこれから生きていくことが出来ないからです。

前述の通り、長屋に住む男子は早ければ8歳か9歳には、職人や商家に奉公するために家を出なければなりません。また女子の場合は商家に奉公に出るか、もしくは縁あって武家屋敷などに奉公に出ることが出来れば、将来の嫁入りの履歴書に大きく光る経歴ともなります。

寺子屋の教師も子どもたちの家庭の状況をよく理解しており、授業料を作物などで受け取ったり、金額や支払い期間の調整をして子どもを受け入れていたようです。教師達の生活も楽ではなかったようですが、子供の教育への使命感がとても強かったと言われています。

 

朝五つ(午前8時頃)には子どもたちは寺子屋へ出かけます。寺子屋ではまず“読み・書き・そろばん”を習いました。昼から仕事や手伝いなどで帰る子供も少なからずいました。そろばんは四則演算ができ、利息の計算まで出来るようになると、すぐに丁稚奉公として働きに出る子どももいました。

授業の様子はのびのびとしていましたが、年長者が年下のものを教えたり、落ちこぼれる子どもが出ないように、それぞれの子供に合わせて教えたりと、教育の質は高いものでした。教師と子供の関係性も強く、人生において寺子屋の先生を尊敬する人として挙げる生徒は少なくなかったようです。

女将さんの洗濯や針仕事

 

旦那さんと子供を送り出したら、おかみさんの次の仕事は掃除洗濯です。上掲の絵にも井戸端に集まって色々話しながら働く女性たちが描かれています。

これが“井戸端会議”の語源ともなったのですが、現代のように情報のやりとりが簡単に出来ることができなかった江戸時代では、これは大切な情報交換の場でもありました。

江戸時代、一般庶民は着物を古着で購入することが普通でした。洗い張りをしてきれいにしてから、それを着物として縫い直して来ていました。

また着物は構造上汗汚れも多く、町は土ぼこりが多かったので、きれい好きの江戸っ子はマメに洗濯をしました。

遊女たちの起床

 

そして吉原遊廓では、夜明け頃にお客を見送った遊女たちが起きる時刻です。遊女達は4時間程度の睡眠で起きなければなりません。遊女の仕事は傍から見るよりもずっと過酷だったのです。

次回は「浮世絵で見る・江戸を生きる人々の1日のタイムスケジュールはどうなっていた?(午前9時~)」に続きます。お楽しみに。

 

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