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16歳とは思えない風格!悲劇のイケメン貴公子・平敦盛の美しすぎる最期【下】

16歳とは思えない風格!悲劇のイケメン貴公子・平敦盛の美しすぎる最期【下】

エピローグ

……かくして敦盛を討ち取った直実は、その首級を鎧直垂(よろいひたたれ。鎧の下に着る装束)に包もうとしたところ、腰に差してある錦の袋に気づきました。

「はて……?」

入っていたのは青葉(『平家物語』では小枝-さえだ)の笛。教養に乏しい直実ですが、これが名物であることを直感。今朝がた、平家軍の砦から聞こえた雅やかな音曲は、きっとこれらによって奏でられていたかと思うと、悲しみもいっそう増すばかり。

「……当時御方(おんかた。みかた)に東国の勢何万騎かあるらめども、軍(いくさ)の陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈(じょうろう)はなほもやさしかりけり」

【意訳】(前略)我ら東国の軍勢は何万騎もいたが、合戦の陣中に笛を持ってくるような者がいる筈もない。やんごとなき方はどんな状況にあっても雅やかなことよ……

そして戦後の首実検で、敦盛の首級を総大将である源義経(みなもとの よしつね)に見せたところ、彼こそ名高き敦盛であったと知ってその死を惜しみ、涙せぬ者はいなかったそうです。

その後、直実は法然(ほうねん。浄土宗の祖)上人の勧めによって建久元1190年に高野山で敦盛の七回忌法要を執り行い、青葉の笛は須磨寺(すまでら。現:兵庫県神戸市)に奉納され、今も大切に保管されています。

この源平合戦におけるハイライトは後世の創作者たちを大いに刺激し、能・幸若舞「敦盛」や文楽・歌舞伎「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」などの元ネタとなりました。

享年16歳(一説には17歳)という短く、悲劇の生涯ではありますが、その中には平家の貴公子として、また坂東武者をして感服せしめる、大将として恥じない品性と風格があり、その生き方に今なお多くの人々が惹かれ続けています。

【完】

※参考文献:
杉本圭三郎『平家物語(九)』講談社学術文庫、1988年
菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』角川選書、2005年
石川透『源平盛衰記絵本をよむ 源氏と平家合戦の物語』三弥井書店、2013年

 

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