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豊臣秀頼は二人いた!? 豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【二】

豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【二】

功名は自分で立てるもの……敵将の首級を譲り合う武士の矜持

「敵将・長末新七郎、討ち取ったりっ!」

その槍の主は、長秀と同じく信長に仕えていた馬廻の兼松又四郎正吉(かねまつ またしろうまさよし)。歳は長秀の一つ下ですが、桶狭間の初陣よりこの方、共に各地を駆け巡った戦友です。

「「……あ」」

戦場の昂揚感で周囲が見えなくなっていた又四郎が我に返ると、長秀の獲物を横取りしてしまったことに気づき、すっかりバツが悪くなってしまいました。

「……いや、これは相すまぬ。長末の首級は河内殿に……」

そう申し出た又四郎ですが、功名を自分で稼がずして武士の面目あるものか……という訳で、長秀も受け取りません。

「いやいや、討ち取った首級は又四郎殿が受けるべき。それがしに構わずお取りなされ」

「いやいやいや、それではそれがしが手柄を奪ってしまったようで後味が悪うござる。ご遠慮なされますな……」

「いやいやいやいや……」

などと譲り合っている内、俄に敵方が勢いを盛り返して長秀と又四郎は一時退却。結局敵将の首級を取り損ねてしまいました。

とかく餓鬼のごとく血眼で功名を求める戦国乱世にあっても、なお道義を忘れない長秀たちの大真面目な性格は、勇猛果敢な戦いぶりとのギャップもあって、どことなくユーモラスにも感じられます。

さて、その後も長秀たちは武田や上杉といった強敵たちと死闘を繰り広げるのですが……。

【続く】

参考文献

  • 谷口克広『尾張・織田一族』新人物往来社、2008年
  • 谷口克広 監修『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年
  • 黒田基樹『羽柴を名乗った人々』角川選書、2016年
 

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