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教科書に載ってた肖像画は誰だったの?ようやく決着した足利尊氏の肖像画論争

教科書に載ってた肖像画は誰だったの?ようやく決着した足利尊氏の肖像画論争

それでは肖像画の人物は誰なのでしょうか。

今のところ一番有力視されているのが尊氏の執事・高師直説。師直は軍事指揮官として才能を発揮し、室町幕府の創設に貢献した人物です。そして、高家家紋は「輪違紋」です。他にも師直の嫡子・師詮説や師直の猶子・師冬説なども唱えられています。

いずれにしても、そのような理由で、現在の教科書にはこの肖像画は掲載されていないか、掲載されている場合でも「足利尊氏像」ではなくて「騎馬武者像」とされていることがほとんどです。

本当の足利尊氏の肖像画はどれ?

では本当の足利尊氏の肖像画はどれか。リアル尊氏はどんな顔をしていたのでしょうか。実は尊氏の姿を伝えるものとして、室町時代以前に描かれた肖像画は広島県浄土寺が所蔵している「絹本著色(ちゃくしょく)足利尊氏将軍画像」が知られています。

また、息子である2代将軍・義詮(よしあきら)が14世紀に京都の東岩蔵寺に奉納したともされる大分県安国寺所蔵の「木造足利尊氏坐像」もあります。

さらに、実は2017年に新しい足利尊氏の肖像画とされるものが発見されました。

所蔵は個人のもので、縦88・5センチ、横38・5センチ。軸装された画の下側に正装して着座する人物が描かれ、上方には十数行にわたって画中の人物の来歴をつづった文章があります。

尊氏像とされた決めては、中世まで確実に遡れること、画中の文書に、尊氏を示す「長寿院殿」という言葉があるということ、尊氏の業績として知られる国内66州に寺や塔を建立した旨の記載があることです。

確かに、この肖像画に描かれている人物は、有力な尊氏像とされている広島県浄土寺蔵の肖像画と同じ人に見えます。

ということで、足利尊氏がどんな顔をしていたのか、という長い間の疑問も終止符が打たれそうですね。

参考:「足利尊氏の顔論争、ようやく終止符か」『歴史が好き.com』

 

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