江戸時代の妖怪「牛女」の目撃情報が現在でも噂されるようになった経緯とは?:2ページ目
牛女の噂が始まった経緯
第二次世界大戦があった頃、西宮市一帯を襲った空襲で牛の屠殺場が焼失しました。ここの座敷牢に牛頭の娘が閉じ込められていたという噂から、牛女伝説は始まったのです。
さらに1980年代になると、この牛女はメディアで取り上げられるようになり、ある寺がかなりの迷惑を被ることに……。
兵庫県西宮市にある高野山真言宗のお寺「鷲林寺(じゅうりんじ)」の住職は、夜毎訪れる若者たちの騒音に悩んでいました。
どうやら肝試しをしているらしい若者の集団は、県外ナンバーの車が目立ちます。どうしてこんなことになったのか、住職には想像もつきません。
そこであるとき注意した若者に尋ねてみると、週刊誌に「鷲林寺には牛女がいる」という投稿記事が掲載されたとのこと。その話は、「境内にある祠を3周すると牛女が現れる」という内容でした。
実際、祠には荒神さんの眷属「牛」を祀っていることから、この牛と元々西宮市に伝わる牛女の噂を誰かが結びつけたのでしょう。
寺に無断で掲載したことから住職は週刊誌に抗議しましたが、それでも噂に惹かれてやってくる若者は後を絶ちません。
思い悩んだ住職は、「牛女を引っ越しさせる」ことを思いつくのです。