武士が小細工を弄するな!鎌倉武士の鑑・畠山重忠の高潔なエピソードを紹介:2ページ目
座ったまま、左腕一本で賊をねじ伏せる!
この重忠は武蔵国(現:埼玉県および東京都西部)の大豪族で、齢十七で初陣を飾ってから二十年にわたって幕府に仕え、数々の武勲を立ててきた歴戦の勇士。
その豪勇もさることながらその謹厳実直で公正無私な振舞いに、誰もが彼を「鎌倉武士の鑑」と称えたそうです。
さて、そんな重忠が則宗を組み伏せた時の様子は、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』にこう記されています。
「……則宗(は盛通の)右手を振り抜きて、腰刀を抜き、盛通を突かんと欲するのところ、畠山次郎重忠、折節傍にあり。坐を動かずといへども、左手を捧げて、則宗が拳刀(にぎりがたな)を膊(かひな。腕)に取り加(そ)へ、これを放たず、その腕を早く折りをはんぬ。よつて魂惘然(ばうぜん)として、たやすく虜(いけど=生け捕)らるるなり……」
※『吾妻鏡』正治二1200年2月2日条
重忠は座ったまま左手一本で則宗をねじ伏せ、その腕をへし折ったそうで、恐らく執務中に「何だかあっちが騒がしいな」と感じていたら、偶然こちらへ倒れ込んできた盛通を刺し殺すべく、則宗が躍りかかった勢いを活かしての妙技だったと考えられます。
盛通にとってはまさしく天佑神助(てんゆうしんじょ。天や神の助け)を得た思いだったことでしょう。
……右腕をへし折られてしまった則宗はその激痛に失神してしまい、あっけなく取り押さえられて侍所別当(長官)である和田太郎義盛(わだの たろうよしもり)に引き渡されて一件落着……と思ったら、その後もう一悶着が生じたのでした。