美しすぎた男装のイケメン女剣士・中沢琴の幕末奮闘記【上・浪士組編】:3ページ目
モテすぎたイケメン女剣士、新選組(壬生浪士組)に入りそびれる
さて、めでたく浪士組に(無理やり)参加した琴ですが、背丈は五尺六寸(約170cm)という男性にもまれな長身で、かつ顔立ちも整っていたらしく、京都に到着すると女性はもちろん男性からも言い寄られて大層困ったそうです。
そんな中、浪士組の発起人である清河八郎(きよかわ はちろう)が、幕府の意向に叛いて浪士組を尊王攘夷の先駆けとするべく、江戸へのとんぼ返りを指令。
「ええっ?ようやく京都に来たばっかりなのに!」
上洛される将軍様の警護と聞いて遠路はるばる京都まで来たのに、将軍様もおいでにならない内に江戸へ帰るとは納得できません。
浪士組の中には少なからず動揺が走り、江戸への帰還に反対した近藤勇(こんどう いさみ)や芹沢鴨(せりざわ かも)らは京都残留を決意し、壬生浪士組(みぶろうしぐみ、後の新選組)を結成。
それを聞いた琴は、自分も参加しようと兄・貞祇を誘います。
「兄上!このまま江戸へ帰っては『何しに京まで行ったのか』と人に笑われてしまいます。ここは一つ彼らに合流して、京都で一旗あげましょう!」
……しかし貞祇は、興奮する琴を冷静に諭します。
「あのな琴。腕を奮いたいお前の気持ちは解らんでもない。しかし、浪士組を抜けるということは、幕府の扶持も後ろ楯もない、単なる浪人になるということだ。わしは兄として、大事な妹にそんな暮らしはさせられん」
無理もありません。その後、壬生浪士組は京都守護職であった会津藩の庇護を受けて存続できましたが、それはあくまで結果オーライであって、この時点でそんな確証は何もありません。