昔話の「鬼婆」は実在した?安達が原の鬼婆伝説に隠された悲しすぎる物語とは?:3ページ目
鬼婆は阿武隈川のほど近くに埋められ、その塚は「黒塚」と呼ばれるようになりました。安達ヶ原の観世寺には、鬼婆の住家であった岩屋、出刃包丁を洗った血の池などが残っています。近くの老杉のねもとには鬼婆の墓「黒塚」もあります。
黒塚は、前述した謡曲「黒塚」の東光坊祐慶が成敗した際に手厚く葬ったと伝えられる塚です。
なお祐慶は埼玉県の「大宮山東光寺」を創建したと実在の僧(1128年)。この地域にも鬼婆伝説があり、一度鬼婆発祥の地として安達ヶ原ともめたことも。
時系列を考えると、平兼盛が歌を詠んだ時には既に岩手は鬼になっていたと考えられるので、
- 岩手、鬼になる(不詳)
- 平兼盛が鬼の歌を詠む(~991年以前)
- 東光坊祐慶が成敗する(1128年頃)
岩手は最低でも137年間、鬼だったことになります。
鬼になったことは伝説とはいえ、実際に起きた悲劇が下敷きになっていた可能性を考えると、やはり胸が痛みますね。黒塚は能の演目や歌舞伎にもなっています。実話にせよ伝説にせよ、人間の業と罪を伝える話として人の心を捉えて離さなかったのでしょう。
観世寺
二本松市安達ヶ原4-126
安達ヶ原(観世寺) – 二本松市公式ウェブサイト
東光寺
埼玉県さいたま市大宮区宮町3-6
東光寺