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忘れないで!実は9代目まで続いていた鎌倉幕府の将軍たちを一挙に紹介!

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第8代・久明親王(ひさあきらしんのう)

【生没】建治二1276年9月11日~嘉暦三1328年10月14日(享年53歳)
【在位】正応二1289年10月9日~延慶元1308年8月4日(約18年10ヶ月)

後深草天皇の第六皇子。執権からの要請で将軍職に就任するも、名目上の存在に過ぎず、和歌に打ち込んだ辺りは伯父の宗尊親王に似ています。

やがて惟康親王の娘(女王)との間に生まれた嫡男・守邦親王(もりくにしんのう)に将軍職を譲りますが、これまでの将軍職と異なり、いわゆる「円満退職」だったようで、久明親王が京都で薨去(こうきょ)された時には、幕府も喪に服したそうです。

第9代・守邦親王(もりくにしんのう)

【生没】正安三1301年5月12日~元弘三1333年8月16日(享年33歳)
【在位】徳治三1308年8月10日~元弘三1333年5月22日(約24年9ヶ月)

鎌倉幕府最後の将軍。久明親王の嫡男として8歳で将軍職を譲られますが、この頃にもなると将軍は傀儡ですらなく完全に形骸化しており、詳細な事跡もほとんど伝わっていません。

おまけに倒幕運動の先駆けとなった護良親王(もりながしんのう。後醍醐天皇の第一皇子)からは無視されてしまう(討伐対象とすら見なされなかった)など、すっかり「空気」な存在です。

極めつけには鎌倉幕府が滅亡し、執権・北条一族が東勝寺(とうしょうじ。現:鎌倉市小町。廃寺)で集団自決を遂げた元弘三1333年5月22日の時点でさえ「どこで何をしていたか」という記録がなく、将軍はもはや「どこで何をしていようと、幕府の行く末に何の影響も及ぼさない存在」となってしまっていたことが察せられます。

幕府の滅亡後、将軍職を辞した守邦親王は出家、間もなく薨去されていますが、まさに「鎌倉幕府の幕引き役」と言える人生でした。

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