忘れないで!実は9代目まで続いていた鎌倉幕府の将軍たちを一挙に紹介!:6ページ目
おわりに
鎌倉は幕府滅亡後、政治の中心地としての役割は徐々に薄れていきますが、室町時代にも「鎌倉公方(かまくらくぼう)」が置かれ、戦国時代にはかの信玄公・謙信公も攻略できなかった名城・玉縄城が築かれるなど、鎌倉は東国経営の要衝として機能し続けます。
また、かつて隆盛を極めた鎌倉仏教の聖地として信仰の命脈を保ち続け、その精神を今に伝えていることも徳筆に値します。
ただ、こうした功績は勝者によってのみ成されたものではなく、時として望まぬ結果に甘んじた者たちの累々たる営みもまた、その礎となっています。
傀儡と呼ばれた将軍たちだって、好きでそう呼ばれた訳ではなく、時代に翻弄されながらも、その時その場でできる最善の選択を望んでいた筈です。
出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな
(意訳:私が出ていけば、もうこの家に主はいなくなる。それでも軒端の梅よ、春を忘れず咲いておくれ)源実朝公 御辞世
幕府が滅んでしまえば、もう鎌倉に「主」はいない……それでもまた春はやって来るし、綺麗な花も咲くでしょう。そこでもう一首。
枯るる樹に また花の木を 植ゑそへて もとの都に なしてこそみめ
(意訳:枯れ木に花を咲かせて見せる。また鎌倉を、昔のように)伊勢新九郎長氏
これは室町時代末期、伊勢新九郎長氏(後世の北条早雲)が戦乱ですっかり荒廃してしまった鎌倉を「いっちょ復興してやろうぜ!」という気概で詠んだ歌とされています。
私たちもその心意気を受け継ぎ、日本人の大切な財産として、鎌倉を守って行きたいものです。