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教育(ひとづくり)こそ未来の希望!小林虎三郎が残した「米百俵の精神」とは

教育(ひとづくり)こそ未来の希望!小林虎三郎が残した「米百俵の精神」とは

北越戦争に敗れ、極貧の長岡藩

時は幕末・慶応四1868年。徳川幕府を討つべく北陸道を進撃する新政府軍に対して、越後国・長岡(ながおか)藩は果敢に抗戦。

これが後世に伝わる「北越戦争(ほくえつせんそう)」ですが、武運つたなく敗れ去った長岡藩は、後に赦免されるも石高を従来の74,000石から、約70%減となる24,000石に減俸されてしまいます。

武士の暮らしぶりと言えば、大名から三一(さんぴん。三両一人扶持=最低限の年俸=最下級の武士)までさまざまですが、年収がいきなり約1/3まで落ち込めば、どんな人でも困ってしまいます。

案の定、長岡藩の皆さんは大いに飢えてしまいましたが、それを見かねた三根山(みねやま)藩が、人道支援として米百俵を寄付してくれました。

「おお、これで少しは暮らしが楽になる……」

領内に運び込まれた米俵の山は、長岡藩士たちにとって、まさに「希望」であったことでしょう。

さっそく米を分けてもらうよう、お城に押し寄せたことでしょうが、米の配給に「待った!」をかけた人物がいました。

それが長岡藩の大参事(だいさんじ。家老に相当する役職)であった小林虎三郎です。

3ページ目 「今日の辛抱が、未来の希望に」

 

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