荒海こえて行ったり来たり!日本書紀に登場する北方の異民族「粛慎(みしはせ)」とは?:5ページ目
その後
その後、粛慎はヤマト朝廷と和睦したのか、粛慎征伐の動きは沈静化していきます。
『日本書紀』には阿倍臣が粛慎の人々をもてなすエピソード(斉明天皇六660年五月条)や、新羅国(しらぎ。現:朝鮮半島東部)からの使者に粛慎人が随行していた記録(天武天皇五676年十一月条)、持統天皇が粛慎人二人に務広肆(むこうし。後の従七位下に相当)等の官位を与えたエピソード(持統天皇八694年一月二十三日条)等が残されています。
そして、持統天皇が粛慎人の志良守叡草(しらすえそう)という者に錦の袍(ほう。上着)と袴、絹や斧などを下賜した持統天皇十696年3月12日を最後に、『日本書紀』からその姿を消したのでした。
まとめ
よく「日本は島国だから、国際情勢に疎い」などと言われる方もいますが、四方が海だからこそ、舟であっちこっちに出て行って、多くの国や民族と交流を重ねてきました。
歴史を学ぶとき、国内だけでなく周辺国や民族の情勢・関係も視野に入れてみると、よりダイナミックに感じられて楽しいものです。