明暦の大火…俗に言う「振袖火事」は武家の失火?はたまた都市計画のために幕府が仕向けたもの?:3ページ目
そもそも明暦の大火の発端からして奇妙なものとなっています。原因となったとされる寺院は普通ならば相当な責任を負うはずですが、大火の後も移転することもなく、幕府からは異例の厚遇をうけています。
実はこの火事、火元は本妙寺に隣接していた武家の阿部家が火元だったと考えられています。ときの老中の屋敷が火元とあっては幕府の威信失墜、江戸復興政策への支障をきたすため、幕府の要請により本妙寺が火元の汚名を引受けたというのがこの振袖火事の真相ではないかと考えられているのです。
また、火災当時、江戸の町の人口は急増し、建物も非常に密集化したために、この時期に発生した火事を利用して幕府が都市計画を目論んだという説も存在しています。事実、大火の後、異例の速さで江戸の再建計画が進められています。
いずれにしても、「振袖火事」には秘められた真相がありそうです。