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皇室制度の基礎を作り「日本」という国号を正式に制定した女帝・持統天皇

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また今上天皇の譲位で耳にする機会の増えた「太上天皇(上皇)」も、退位後に孫で即位時15歳だった文武天皇を補佐するため、政治の表舞台に立ち続けた持統天皇が史上初でした。これにより、それまでの天皇の即位のための年齢や経験などの条件は緩和され、若い天皇も即位することが可能となったのです。

女帝・持統天皇には、まさに太陽神と重なるイメージがあったということなのでしょう。「日本という国」を確立したのは、古代の女帝だったのです。

百人一首に取り上げられた唯一の女帝の歌

そんな持統天皇御製の歌は、当時の都があった大和盆地の夏の訪れを、爽やかに詠んだ歌です。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙(しろたえ)の 衣ほすてふ 天の香具山
(春がいつしか過ぎ去って、夏が来たらしい。白い衣を干すという言い伝えのある大和三山の1つ「天の香具山」に、白い着物が干してある)

この歌の出典は『新古今集』の巻3・夏歌ですが、『万葉集』1巻にはその元となった歌が取り上げられています。

春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山

ちなみに、『万葉集』に取り上げられた歌が『新古今集』でこのように変化した理由は、『万葉集』の原歌が音に漢字をあてた「万葉仮名」で書かれていたためです。

爽やかな初夏の訪れを詠んだこの歌には、持統女帝の「いよいよ私の時代がきた!」という新時代への決意も秘められていたかも知れませんね。

 

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