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「とんでもない女!」源氏物語の作者・紫式部の痛烈な清少納言バッシングの真意とは?

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紫式部の思いは後に『源氏物語』に投影された

さて、紫式部の感じた皇后定子の悲劇に対する思いは、後に彼女の作品『源氏物語』にも影響を与えました。定子は死の直前に、3首の歌を残していました。そのうちの1首は…

知る人も なき別れ路に 今はとて 心細くも 急ぎたつかな
(知る人もいないあの世へ、心細いけれども急いでもう旅立たねばなりません)

実は紫式部の書いた『源氏物語』の最初の帖『桐壺』にも、桐壺の更衣が死の直前に天皇に贈った歌が登場します。

限りとて 別るる道の 悲しさに いかまほしきは 命なりけり
(もうお別れして、あの世へ行かなくてはなりません。でもその旅立ちが悲しくて…。私は死出の道を行くのではなく、命を生きたいのです)

「別れ路」と「別るる道」はおおよそ同じ意味ですが、どちらも本来は旅の別れに使われ、辞世の歌に使われる例は極めて稀です。

繊細な感性故に清少納言の主人・定子の悲劇を心に留め、その悲劇の渦中にいながら楽しいことばかりを『枕草子』に書き綴った清少納言に反感を持った、紫式部。しかし清少納言が敢えてこのように『枕草子』を著した背景には、どうやら別の思惑があったようです。

参考:『枕草子のたくらみ~「春はあけぼの」に秘められた思い』山本淳子著

 

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