
幕末に起きた「戊辰戦争」の敗戦藩はどのように復興したのか?三島億二郎に学ぶ地域再生戦略【後編】:2ページ目
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つまり三島億二郎の戦略とは、制度や物資に頼るだけでなく、地域の人々の知恵とネットワークを活かして、自立的な再生を図るというものでした。
そこには、のちに「地方自治」「市民参加」「コミュニティ再建」として制度化される概念の萌芽があります。
1882年に官職を退いた後も、三島は地域の外に目を向け、1886年には北海道開拓を目的とした北越殖民社を設立。内地で職を失った士族たちに、新天地での生活と誇りを取り戻す場を提供しました。
三島は1892年3月25日に没しますが、その没後も、今日に至るまで、彼が残した制度や理念は長岡の中で生き続け、地域社会の独自性を保っています。
三島億二郎の生涯のテーマは「戦後復興」と「士族授産」でした。そして、こうした三島の生き方は、「敗戦後の復興」という問いに対して、一つの明快な答えを示してくれます。復興とは、誰かが与えてくれるものではなく、自らの手で考え、つくり上げるもの。それを、150年前に実践していた男が、長岡という地方都市にいたのです。
参考文献
- 今泉鐸次郎『三島億次郎翁』(1927 北越新報社)
- 今泉省三『三島億二郎伝』(1957 覚張書店)
- 長岡市編『ふるさと長岡の人びと』(1998 長岡市)
- 稲川明雄『長岡城落日の涙―故郷復興への道のり』(2001 恒文社)
- 石坂智惠美『長岡復興の恩人 三島億二郎物語』(2024 博進堂)
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