ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り:2ページ目
敦成親王を推した行成の主張
皇后(藤原定子)が生んだ嫡流の第一皇子である敦康親王をさしおいて、敦成親王を「ゴリ押し」した道長。その主張を、藤原行成(渡辺大知)が代弁していました。
なぜ敦康親王を春宮とすべきではないのか?その理由は大きく3つあります。
1.皇位継承者に相応しい要件とは、血筋よりもきちんとした後ろ楯があるかどうかです。そうでなくては、政治がスムーズに行われません。
→敦康親王は後ろ楯がほぼゼロ、これに対して敦成親王は道長という強大な後ろ楯があります。
2.皇位継承は神が思し召すところであり、人間がとやかく言うものではありません。
→完全な屁理屈。それならば道長や行成だってとやかく言わず、神意をうかがうべきではないでしょうか。
3.敦康親王の母方(定子の実家)である高階氏は伊勢の神宮に奉仕する斎宮(さいくう/いつきのみや)の子孫であるから、その血を引く敦康親王が皇位を継承することは、聖俗混同して神の怒りを買うでしょう。
→これも後付けと言わざるを得ません。なら最初から出家させるなどして、皇位継承者から外しておくべきです。道長だって最初は彰子が皇子を産めなかった時の保険として、敦康親王を丁重に扱っていたではありませんか。
そして最後に、こう加えました。
4.もし敦康親王の処遇が心配なら、相応の地位や恩給を与え、家司でも置けばいいでしょう。
→まぁ皇位継承しなくても、安楽に暮らせれば文句ないでしょ?と言わんばかり。現代に喩えるなら、札束で頬を撫でるような態度です。
ここまで強硬に出られると、一条天皇としても諾(Yes)と言わざるを得ません。
自分の亡き後まで道長が約束を守るとは思えないし、そうなったらいよいよ敦康親王の身が危ないからです。
永年にわたり道長の傀儡にはなるまいと対抗してきた一条天皇ですが、自身の死を前にとうとう膝を屈してしまったのでした。