ゴリ押し、うっかり…藤原道長はそういうヤツ!大河ドラマ「光る君へ」第40回放送(10月20日)振り返り:3ページ目
その後の敦康親王
……御才(おんざえ)いとかしこう、御心ばへ(心映え)もいとめでたうぞおはしましし……
※『大鏡』より
才能があり、心映えも素晴らしいと評判であった敦康親王。それもあって皇位継承候補から退けられてしまいました。
劇中でも言及されていた通り、敦康親王はその後、典雅と風流に生きていきます。
歌合や物見遊山を楽しんだり、法華八講を催したりなど、なかなか充実した生活でした(でなきゃやってられませんよね)。
長和2年(1013年)12月10日に具平親王女(ともひら娘)と結婚しました。
長和5年(1016年)7月19日に一人娘の嫄子女王(げんし/もとこ。藤原頼通の養女なので藤原嫄子)を授かります。
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一条天皇の第一皇子、しかも皇后が生んだ嫡男という正統な皇位継承候補でありながら、藤原道長によって未来を奪われてしまった敦康親王。[caption id="attachment_234444" …
しかし寛仁2年(1018年)12月17日に突如として病いを発し、出家した後に20歳という若さで薨去してしまったのでした。
病いについて詳しいことは分かりませんが、敦康親王の存在を危険視した誰かの意向が関係しているのかも知れませんね。