古代日本の権力者一族「蘇我氏」の知られざる物語!飛鳥石舞台古墳で歴史の息吹を感じよう【その1】:2ページ目
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蘇我稲目と物部守屋:仏教をめぐる対立
蘇我氏の歴史の中でも、特に注目すべきは仏教をめぐる争いです。蘇我稲目は、仏教という新しい信仰をいち早く取り入れるべきだと主張しました。
これに対して、伝統的な神道を重んじる物部氏は
「日本古来の神々をないがしろにしてはならない!」
と猛反対。なんとなく今の「伝統 vs 革新」の対立にも通じるものがありますね。
この対立が最終的に武力衝突に発展したのが、587年の「丁未(ていび)の変」です。結果は、蘇我氏が物部氏を打ち倒し、ついに仏教が日本に根付くことになりました。
こうして蘇我氏は大和王権内での力をますます強め、稲目の息子、蘇我馬子の時代には仏教が広く受け入れられるようになったのです。
蘇我氏の政略結婚:家族を武器に権力を築く
蘇我氏のもう一つの強みは「家族」を武器にした権力掌握です。蘇我稲目の娘や孫たちは天皇や皇族と次々に婚姻を結び、天皇家と血縁関係を築いていきます。家族を通じて王権と結びつくことで、蘇我氏は外戚として絶大な影響力を持つようになりました。
【その2】の記事はこちら↓
古代日本の権力者一族「蘇我氏」の知られざる物語!飛鳥石舞台古墳で歴史の息吹を感じよう【その2】
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参考
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