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日本は「脱税」「賄賂」は古代から!いにしえの税金逃れの手口と日本史上最初の「疑獄」事件を解説

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古代の疑獄事件

五世紀後半、高句麗が朝鮮半島北部から南下して、南部の百済や新羅を圧迫し始めます。その圧力が、いずれヤマト政権が統治していた加羅におよぶことは明らかでした。

そこで継体天皇は金村の進言に従って、加羅のうちの四カ国について、百済の支配権を承認します(かつては任那四県割譲と呼ばれました)。

つまり、高句麗に領土の北部を奪われた百済を助けるため、領地を譲ったことになります。

当時の皇太子はこれに反対しましたが、金村は天皇の決断を盾に押し切りました。自ら進言して天皇に決断を迫り、今度は天皇の決断を楯に自分の主張を通したわけです。

そこで、百済のためにそれほど頑張るのは、百済から賄賂をもらったからに違いないと噂されたのです。

本当に金村が賄賂を受け取っていたかどうかは不明ですが、日本史上、賄賂をめぐる具体的な話が登場するのはこの金村の一件が最初です。賄賂事件というよりも疑獄とでも呼ぶべきものかも知れません。

脱税にしろ賄賂にしろ、昔からそういうものは存在していたんですね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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