日本は「脱税」「賄賂」は古代から!いにしえの税金逃れの手口と日本史上最初の「疑獄」事件を解説:2ページ目
昔からあった「賄賂」
ここでの脱税の具体的な方法は、徴税の台帳である戸籍をごまかすことでした。
たとえば、男性なのに女性として登録したり、年齢をごまかして老人として登録したり、生きているのに死んだことにするなどして、庶民はなるべく税金がかからないようにしたのです。
また、京と畿内は税制面で優遇されていたので、諸国の農民の中には京や畿内の戸籍にもぐりこんだり、国司に賄賂を送って戸籍を京や畿内へ移してもらう者もいました。
さて、賄賂の話が出てきましたが、日本史上、記録に残る賄賂事件第一号(厳密に言えば収賄疑惑)は、ヤマト政権の総理大臣クラスの政治家によるものです。
五世紀末から六世紀半ばにかけての武烈・継体・安閑・宣化という四人の天皇の時代、大伴金村(おおとものかなむら)は大連という役職に就いていました。この大連はヤマト政権の最高執政官で、現在の総理大臣クラスにあたります。
『日本書紀』には、この金村が百済からワイロを受け取ったという噂が流れたと記されています。540年には、この噂をめぐって物部氏から攻撃された金村が失脚するという事件まで起きています。その詳細を見ていきましょう。