【光る君へ】紫式部と仲良しすぎて道長も手が出せず!? 親友・小少将の君とはどんな女性だった?:3ページ目
『源氏物語』女三宮のモデルになった?
かくまで仲良しな小少将の君について、紫式部はどう思っていたのか、『紫式部日記』にはこんな記述があります。
……もてなし心にくく、心ばへなども、わが心とは思ひとるかたもなきやうに物づつみをし、いと世をはぢらひ、あまり見ぐるしきまでこめい給へり……
※『紫式部日記』より
【意訳】彼女の振舞いは奥ゆかしく、何かにつけて遠慮がちです。恥じらいの心を忘れないのは素晴らしいけれど、それが時に何も分からない子供のように見えてしまうことがあります。
また上品かつ優美、その姿はさながら二月ごろのしだり柳と言ったところ……とも評しました。
この表現は彼女の作品『源氏物語』に登場する女三宮(おんなさんのみや。朱雀帝の第三皇女)にも用いられており、もしかしたら小少将の君がモデルの一人だったのかも知れませんね。
小少将の君を偲ぶ
そんな小少将の君ですが、寛仁元年(1017)7月10日に兄の源雅通が亡くなると、程なくして世を去ってしまったと考えられています。
ある日、紫式部が身の回りを整理していると、小少将の君が送ってくれた文を見つけました。
往時の懐かしさを噛みしめながら、仲のよい加賀少納言(かがのしょうなごん)に和歌を詠みます。
(六四)
新少将(小少将)のかきたまへりしうちとけ文の、物のなかなるを見つけて、かがの少納言のもとに
新古くれぬまて(の) 身をばおもはで 人の世の
哀(あはれ)をしるぞ かつはかなしき※『紫式部集』より
【意訳】自分の生命もいつまで続くか分からない中で、大切な彼女の死に直面することで世の儚さを痛感させられます。
また続けて詠みました。
(六五)
同たれか世に なからへてみむ かきとめし
跡はきへせぬ かたみなれとも※『紫式部集』より
【意訳】彼女がくれた文はこうして私の手元に残っているけれど、私も死んでしまった後は誰が読み継いでくれるのでしょうか……。
何だか紫式部も後を追ってしまいそうな感じです。