幕末の志士・坂本龍馬は詐欺をも厭わなかった!?大きく書き換えられつつある龍馬の人物像
根拠のない「船中八策」
坂本龍馬(さかもとりょうま)といえば、幕末の志士の人気投票では必ず上位に名前が挙がるビッグネームです。
彼は土佐藩の下級武士の家に生まれながら、その才覚と行動力を活かして数多くの難問を解決しました。
さらに政治面での活動だけではなく、貿易商社兼海運業者でもある海援隊を設立。商才を発揮して近代日本の基礎を築いたとされています。
しかし現在、彼の実績には多くの疑問が付されており、教科書からその名前が消えるのではないか、とすら言われています。坂本龍馬の人物像は大きく変化しているのです。
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例えば彼は、大政奉還の元ネタとなるアイデア船中八策を作り、それが後藤象二郎から山内容堂へと伝わったとされていますが、その明確な証拠は存在しません。
確かに龍馬が大政奉還後の政体構想を持っていたことは分かっています。しかし現在「伝承」として伝わっている船中八策がそれだったとは断定できないのです。
そもそも船中八策には原本も写本も存在せず、存在を示唆する同時代の史料もありません。海援隊の隊士が書いた記録書にも記述はなく、また後藤象二郎が龍馬の影響で大政奉還の案を披露したという痕跡もないのです。
では船中八策という言葉が歴史上に登場するのはいつ頃からというと、大正時代です。幕末当時はそうした言葉すら存在していませんでした。