大日本帝国憲法は「ドイツの真似」ではない?欧米の政治制度からの脱却を試みた伊藤博文たち【後編】:3ページ目
フランスの制度も採用
伊藤はドイツの憲法を研究していく過程で、その原型のフランス憲法にたどり着きます。その結果、ドイツの純粋な模倣ではなく完全なフランス式でもない、独特の憲法と政治制度ができあがることになりました。
例えば大日本帝国憲法で採用された「君主は神聖である」というような表現(天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス)はドイツ憲法にはありません。これは1814年6月にフランスのルイ16世が発布した欽定憲法を手本としています。
また、伊藤らは日本の帝国議会を衆議院と貴族院の二院制にしましたが、ドイツは帝国議会と連邦参議院の二院制です。
そして、ドイツの帝国議会の議員は普通選挙で選ばれましたが、よく知られている通り、日本の衆議院議員は直接国税15円以上の納税者という厳しい制限選挙でした。これも前述したフランスの王政復古時の1814年憲法並みの制限選挙です。
そして大日本帝国憲法では、首相はあくまでも他の大臣と対等です。他の大臣への指揮権もなければ任免権もありません。
そもそも大日本帝国は連邦制でもありません。
かつての教科書で説明されていたように「大日本帝国憲法は単純にドイツ帝国の憲法を手本にした」と覚えてしまうと、明治維新の複雑な政治的背景や、当時の国際関係を誤解してしまうことになるでしょう。
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社