小説執筆を許されるも無断欠勤!?シングルマザー「紫式部」、子育てと仕事の両立に悩む。:2ページ目
宮仕えの憂鬱
ここまで読むと、現代の目線から見ればとてもラッキーなように思われます。なにせ就職できた上に、文才を認められて小説を執筆することまで仕事として許可されたのですから。
しかし当の紫式部は、出仕することに積極的ではありませんでした。『紫式部集』には、出仕直後に詠んだと思われる歌が収められています。
初めて内裏わたりを見るにも、もののあはれなれば、
(初めて宮仕えをして宮中を見ると、しみじみと感慨深くなって)
身の憂さは心のうちにしたひきていま九重(ここのえ)ぞ 思ひ乱るる
(宮中を心の中で慕ってきましたが、今、幾重にも心が乱れています)
式部は、宮中で何か嫌な思いをしたのでしょうか。実は初出仕の数日後、年明け3日に催された歌会の後で、なんと彼女は実家へ帰ってしまいました。
その正確な理由は不明ですが、初出任後の数日間でわずかに言葉を交わした同僚の女房に対して、式部は次の歌を送っています。
閉ぢたりし 岩間の氷 うち解けばをだえの水も影見えじやは
(岩間を閉ざした氷のように、私に心を開いてくれない方々が打ち解けてくださるなら、私も出仕しないことはありません)
すると同僚は、
深山辺の花吹きまがふ 谷風に結びし水も解けざらめやは
(山辺の花に吹く谷風のように、中宮様のご慈愛に分け隔てはないので、宮中はきっと和やかになりますよ)
と優しい言葉を返してくれました。
しかし、式部の心は解けることなく、正月10日頃に「春の歌を奉りなさい」と中宮が直々に伝えてきたにもかかわらず、
み吉野は春の景色に霞めとも結ばほれたる 雪の下草
(吉野山には春らしい霞がかかっていますが、私は雪に埋もれたまま、芽も出せない下草のようにしています)
と頑なな態度を崩しませんでした。結局、この引きこもりは秋頃まで続くことになります。