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死者が100人を超える犠牲を生み出した昭和時代の「国鉄戦後五大事故」はなぜ起きてしまったのか?

死者が100人を超える犠牲を生み出した昭和時代の「国鉄戦後五大事故」はなぜ起きてしまったのか?:2ページ目

桜木町火災・洞爺丸事故・紫雲丸事故

旧国鉄が存在したのは1949(昭和24)年~1987(昭和62)年で、時系列で追っていくとこの間に発生した「国鉄戦後五大事故」は以下の通りになります。

①桜木町火災(1951年)
②洞爺丸事故(1954年)
③紫雲丸事故(1955年)
④三河島事故(1962年)
⑤鶴見事故(1963年)

まず桜木町火災ですが、これは東海道本線(現・根岸線)の桜木町駅構内で発生した事故です。

工事作業中のミスで、垂れ下がった架線に列車が接触。ショートを起こしたことから車両火災が発生し、106人が亡くなりました。

当時の鉄道車両が、乗客が外に脱出しにくい構造だったことから「非常用ドアコック」が設けられるなどの影響をもたらしています。

次に洞爺丸事故ですが、これは青函連絡船・函館沖で連絡船が台風にあおられて沈没、なんと1,430人という世界史的にも屈指の被害者数が出た船舶事故です。

旧国鉄は船舶の運航も管理していたことから、次にご紹介する紫雲丸事故とあわせて、こうした事故も「国鉄」五大事故に入れられています。

次に宇高連絡船・女木島沖で発生した紫雲丸事故です。これは紫雲丸という船舶が貨物船と衝突し沈没したもので、166人が死亡。そのほとんどが修学旅行中の少年少女だったという大変痛ましい事故でした。

3ページ目 社会システムの機能不全

 

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