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ある人物の手腕で新政府軍を圧倒!幕末期の戊辰戦争のひとつ「北越戦争」で長岡藩が善戦できた理由

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河井継之助という男

実は、長岡藩が善戦できたのはひとえにマンパワーのおかげでした。兵器ではなく、指揮官が優秀だったのです。

北越戦争における長岡藩の指揮官の名は河井継之助。日本史の教科書などではなかなか名前を見かけない人物ですが、今でも彼の名前は地元で語り継がれています。

河井は戦闘が始まった5月2日には指揮官として戦闘に参加しており、まず5月10日に、信濃川を突破してきた新政府軍を撃退しました。

翌日には新政府軍の反撃が始まりますが、河井は地の利を生かした戦術に出ます。彼は山地に陣を構えて戦いを優位に進めたのです。

しかし、さすがに数で劣っていた長岡藩は追い詰められていきました。5月19日に、かの山縣有朋によって長岡城が奪われたことをきっかけに、藩内では新政府軍に寝返って工作活動を始める者が現れ始めます。

7月25日にはなんとか長岡城を奪還しますが、この時すでに兵力は底をついていました。河井が足に怪我を負って戦線から離れると、指揮官不在の状態で軍は敗走し、8月16日の河井の死と時を同じくして、長岡藩は降伏したのです。

こうして見ていくと、これまでの通説とは異なり、長岡藩が善戦したのは最新兵器のおかげではなく優秀な指揮官・河井継之助あってこそだったことが分かりますね。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

 

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