初期の明治新政府を運営したのは薩長ではなく公家だった!~ 公家による政治運営から内閣制度発足まで【後編】:2ページ目
「初代内閣総理大臣」の誕生
そもそも太政官制度と内閣制度は、どのような点が違うのでしょうか。太政官の場合は、「●●卿」と呼ばれる閣僚たちの上に、大統領的なポジションで太政大臣がいるというイメージです。
一方の内閣制度は、閣僚たちはあくまでも横並びの存在であり、その中の首席である「首相」が政府の第一席ということになります。
太政大臣の三条実美としては、内閣制度の採用は避けたいところでした。しかし上述のように左右の大臣になれる人物がいない以上、致し方ありません。
こうして、太政大臣にかわる総理大臣として、伊藤博文が選ばれたのです。
ここに初代内閣総理大臣である伊藤博文が誕生し、一方の三条実美は内大臣というポジションになり、政府と天皇の橋渡しをする立場になりました。
つまり、内閣制度というのは、有り体に言えば身分上の問題から伊藤博文を太政大臣にできなかったため、伊藤のために造られた制度だったのです。