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徳川家を四代に渡り祟った妖刀「村正」とは?その由来と伝説の真偽に迫る

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村正は正宗の弟子?

そんな村正は、一体どんな由来を持つ刀なのでしょうか? それを知るためには、日本史に残る名工・政宗について説明する必要があります。

正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国(現在の神奈川県)を拠点として活動していた刀工で、別名を岡崎五郎入道ともいいました。

彼は日本刀中興の祖とも呼ばれ、刀剣としての機能や刀剣美を飛躍的に向上させた名工とされています。

名作と言われている日向正宗(ひゅうがまさむね)や包丁正宗(ほうちょうまさむね)など、彼の作った刀は多くの武将を魅了しました。現在、彼が打った刀は短刀も含めて九振りが国宝に指定されています。

そんな正宗の詳しい系譜は不明ですが、刀工・新藤五国光の弟子(息子との説も)である藤三郎行光の子だとも言われています。

正宗は藤三郎国光の弟子となり、若い頃には全国を修行して回り、さまざまな流派の技術を学びました。そしてその中で独自の技法を編み出していったのです。

彼の優れた十人の弟子は正宗十哲とも呼ばれました(全員が正宗の弟子ではなかったようですが)。

伝説では、この正宗の弟子の一人が、村正という人物がいたというのです。

3ページ目 伝説が生まれた理由

 

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