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徳川家を四代に渡り祟った妖刀「村正」とは?その由来と伝説の真偽に迫る

徳川家を四代に渡り祟った妖刀「村正」とは?その由来と伝説の真偽に迫る

伝説が生まれた理由

伝説によると、村正は刀の切れ味について異常な執着を抱いていました。

ある時、彼が作った刀を、正宗は自分の刀と一緒に川の中に突き立ててみたといいます。すると不思議なことに、流れてきた木の葉は正宗の刀を避けるように流れていきましたが、村正の刀は、木の葉二つに切り裂きました。

これを確認した正宗は、村正の刀は争いを呼び寄せるものだとして、村正を退けたそうです。

このエピソードはいくつかの種類があります。例えば、この儀式は後継者選びの際に行われた、などと言われることもあります。

いずれにしても、村正が刀の切れ味に執着していたことを表しているのですが、実はこの逸話は完全なフィクションなのです。

なぜかと言うと、簡単な話で、正宗は鎌倉時代末期の刀工。そして村正は室町時代の人物なので、二人が直接の師弟関係にあったことはありえないのです。

おそらく、後世の人の想像で、二人の名工が結び付けられて考えられたのでしょう。

結局のところ、村正が妖刀として有名になったのは、戦国時代に三河(現在の愛知県)の徳川氏とその周辺の武士たちが、比較的近い伊勢で作られた斬れ味の良い村正を手にすることが多かったからでしょう。

つまり、村正はたくさん出回っていたため、暗殺にしろ解釈にしろ、さまざまな場面に使われていたのです。

一方で、刀工である村正は刀の切れ味に執着していたと言われていたことから、村正=妖刀、というイメージが定着してしまったのでしょう。

参考資料:刀剣ワールド

 

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