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皇族にして朝敵!幕末期、最後まで幕府側に「義」を貫いた北白川宮能久親王の波乱の人生

皇族にして朝敵!幕末期、最後まで幕府側に「義」を貫いた北白川宮能久親王の波乱の人生

輪王寺宮・北白川宮能久

朝廷の中には、討幕運動に加わらず、幕府の味方についた皇族もいました。それは輪王寺宮(りんのうじのみや)です。

輪王寺宮は役職名で、徳川家の菩提寺である寛永寺に居住しつつ、比叡山の延暦寺と日光山輪王寺の管理もしていました。

この通り、徳川家の菩提寺に住んでいたため幕府からも手厚く遇されており、もともと幕府寄りの立場だったのです。

そして、幕末期に徳川幕府の側についたのが、最後の輪王寺宮である北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王でした。

彼が輪王寺宮になったのは1867年。その翌年には、鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜を訪ねています。そして、徳川家の存続を嘆願する嘆願書を、東征大総督だった有栖川宮熾仁親王に渡しました。しかしこれは拒絶されます。

その後も、能久親王は帰還せず上野に駐留します。その理由は、皇族が不在になると上野は戦場になる可能性があり、旧幕臣や豪農・豪商たちが嘆願書を出したためとも言われています。

しかし、結局このあたりも戦場となりました。能久親王も、幕府の残党で結成された彰義隊を助けますが、最後は江戸を追われることになります。

3ページ目 奥羽越列藩同盟、そして…

 

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