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「錦の御旗」は戦況に関係なかった?鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」がもたらした本当の影響とは?【後編】

「錦の御旗」は戦況に関係なかった?鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」がもたらした本当の影響とは?【後編】

間接的に歴史に与えた影響

さらに、錦の御旗によってショックを受けて、鳥羽伏見の戦いどころか歴史全体にまで大きな影響をおよぼしたのが徳川慶喜です。

もともと慶喜は水戸藩の出身なので、皇室を敬う勤皇思想の持ち主でした。自分が総大将を務める旧幕府軍が逆賊として認定されたのですから、衝撃を受けないわけがありません。

幕末の歴史の謎のひとつに、慶喜はなぜ1月6日に自軍の将兵を置き去りにして江戸へ帰ってしまったのか…というのがありますが、意外と答えはシンプルで、彼は錦の御旗が掲げられたことに大きなショックを受けたのでしょう。

幕末の歴史において、政治家として怪物めいた手腕を発揮し、朝廷も諸侯も薩長も、そして諸外国すらも振り回した徳川慶喜。そんな彼も、さすがにこの時ばかりは平静を保てなかったのです。

こうして旧幕府軍は総崩れとなりました。つまり「錦の御旗」は鳥羽伏見の戦いで大きな決め手になったわけではなく、間接的に総大将の徳川慶喜に大ダメージを与える結果になったのです。

ある意味、想像以上の効果をもたらしたと言えるかも知れません。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

 

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