「錦の御旗」は戦況に関係なかった?鳥羽・伏見の戦いで「錦の御旗」がもたらした本当の影響とは?【後編】:2ページ目
戦場への影響
この経緯を見ると、錦の御旗は「偽物」であり「偽造」だったと言えるのではないか? 新政府軍のやり方は天皇に対して失礼ではないか? と思われるかも知れません。
これについては、密造された錦の御旗については、朝廷から使用許可を得ていたと言われています。しかし薩長が密造した旗を「本物」と言っていいのかどうかは、研究者の間でも意見が一致していません。
さて、この「密造」された錦の御旗が掲げられた際、鳥羽伏見の戦場では大勢が決していました。よってこれによって新政府軍がドラマチックな大逆転を果たしたわけではありません。
しかしそれでも、官軍の証である御旗が掲げられたことは、戦場に大きな影響をもたらしました。
まず、新政府軍の薩長の兵士たちです。錦の御旗が掲げられたことで、彼らの士気は大いに高まり、涙を流しながら旧幕府軍に立ち向かっていく者もいました。
一方、旧幕府軍の兵士たちは大きな精神的ダメージを負うことになります。何せ、相手方に錦の御旗が掲げられたということは、自分たちは「逆賊」の烙印を押されたことを意味します。このため、幕府軍からは多くの離脱者が出ました。