薩長同盟、実は「倒幕はしない」同盟だった!?真の目的と本当の敵は誰だったのか?:3ページ目
薩長同盟の「仮想敵」は
とはいえ、薩摩藩は武力行使について全く頭になかったわけではありません。同盟の条文には「会津及び一橋などが朝廷を味方とし、要求を拒んだ場合は決戦に及ぶ」と書かれています。
この「会津と一橋」というのは、当時、朝廷の後ろ盾を得て国政の重要部分を担っていたグループのことで、研究者の間では「一会桑政権」とも呼ばれています。
長州征伐を主導したのもこのグループで、薩摩藩は、彼らが薩長同盟の要求を拒むなら挙兵もありうると考えていたことが分かります。
このように、薩長同盟は武力行使の可能性を全く考えていなかったわけではありませんでしたが、いわば「仮想敵」はごく限られた一派であり、この時点では倒幕までは考えていなかったのです。
その後の歴史の流れはご存知の通りです。第二次長州征伐では、薩摩藩の物資援助のおかげで長州藩が勝利を収めました。そして朝敵指定も解除され、薩摩・長州の両藩はこの協力関係を土台にして倒幕へと進んでいくことになるのです。
大局的に見れば、薩長同盟の目的が長州復権にあったのか倒幕にあったのかというのは誤差に過ぎず、結果的に討幕はなされたわけです。だからわざわざ論う程でもないのかも知れません。
しかしこうした微妙なニュアンスが変われば、私たちが慣れ親しんできた歴史物語の様相もがらりと変わります。今後はこういったシーンの描かれ方も今までとは異なってくることでしょう。
参考資料:日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年