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意外と不明瞭な「8月15日」の記憶…その日、日本国民はどのように終戦を迎えたのか

意外と不明瞭な「8月15日」の記憶…その日、日本国民はどのように終戦を迎えたのか:2ページ目

灯火管制はいつ終わった?

他にも「8月15日」をめぐる記憶の錯誤として、灯火管制に関する事柄も挙げられます。灯火管制とは、空襲の的になるのを避けるために夜は電灯をつけないことですが、よく言われるのは、8月15日の夜には皆が灯火管制をやめて、町が明るくなったということです。

しかし実際にはどうだったのでしょう。灯火管制が解除されたのは8月20日のことなので、皆がそれよりも前に勝手にやめたのでしょうか。あるいは、20日以降の記憶がごっちゃになってしまっているのでしょうか。

いくつかの証言もあります。例えば半藤一利はその著書の中で、終戦になっても窓や電灯の黒い覆いを取り去る人はいなかったと書いています。

これは、人々の記憶が食い違っているだけではなく、実際に家・あるいは地域単位で、灯火管制を律義に守り続けていたかどうかが異なるということでもあるのでしょう。

なぜ事実が分からなくなるか

ここまで書いたような、「玉音放送が流れた時の記憶」「灯火管制の記憶」がびっくりするほど画一化された形で人々の頭の中に刷り込まれていたり、あるいは反対に具体的な記憶がことごとく食い違っていたりするのは非常に興味深いですね。

おそらく、原因はメディアにもあるのでしょう。ことに多くの人にとって思い入れが深いであろう8月15日という日のイメージは、メディアでも繰り返し流されます。

そして、そうやって作られたイメージを何度も目の当たりにしているうちに、当事者たちも記憶が上書きされたところがあったのではないでしょうか。

参考資料
BuzzFeed Japan
総務省
西日本新聞me
半藤一利『十二月八日と八月十五日 (文春文庫・2015年)

 

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