意外と不明瞭な「8月15日」の記憶…その日、日本国民はどのように終戦を迎えたのか
よくある「8月15日」のイメージ
皆さんは、「8月15日の玉音放送」と聞くとどんな光景をイメージするでしょうか。多くの人は、蝉が泣いている青空の下で、皆が居住まいをただして整列しており、ラジオからはゴニョゴニョと聞きづらい音声で天皇陛下の声が聞こえてくる。しかし子供たちは何を言っているかが分からず、ただ大人たちは泣いていた……という光景を思い浮かべることでしょう。
言うまでもありませんが、当時の全国民がこのような状況で玉音放送を聴いたとは限りません。上記のようなイメージは、あまりにも画一化された形で私たちの頭に刻み込まれていると言えるでしょう。
例えば、上記のようなイメージとは少し違う、当時の「事実」としてこのようなエピソードがあります。実は玉音放送は、何を言っているか分かりにくかった天皇陛下の言葉の後で、分かりやすく言い直した補助的な放送も続いていたのです。だからこそ、当時の日本人は戦争が終わったことを理解できたのでした。
また、フィリピンの戦線に送り込まれていた日本兵たちは、当然のことながら現地で玉音放送を聴いています。その時餓死寸前だった兵士たちは、放送を聴いて涙を流した……と語られることが少なくありませんが、実際には「まあそうだろう」と納得したり、「これで助かる!」と喜んだり、ひたすら困惑してしまった兵士も多かったようです。
むしろフィリピンのジャングルにいた兵士たちは、玉音放送を聴けないことの方が多かったでしょう。実際、月末あたりまで敗戦の事実を知らなかったという話は少なくありません。それに本土にいた人々も、例えば九州あたりでは、作業中のため玉音放送そのものを聴いていなかったという人もいました。
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