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実は秀吉が仲介だった!?お市の方と柴田勝家が結婚した理由【どうする家康】

実は秀吉が仲介だった!?お市の方と柴田勝家が結婚した理由【どうする家康】

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2023/08/14

2人の夫婦仲

実際のところ、2人の夫婦仲はどうだったのでしょうか?

2人は24歳の歳の差婚ではありましたが、仲睦まじい夫婦だったそうです。勝家はお市の方を好意に思っていたこともあり、お市の方だけでなく、浅井三姉妹も大事に扱いました。

また、2人の結婚期間は1年に満たない時でした。そのため、2人の間には子がいません。それも相まって勝家は三姉妹を実の子のように接したのではないかと考えられます。

北ノ庄城で自害する際、勝家はお市の方の辞世の句に応じる形で辞世の句を残しました。その辞世の句はこちらになります。

さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそふ ほととぎすかな

-お市の方の辞世の句

夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ やまほととぎす

-柴田勝家の辞世の句

引用:Wikipedia

意味としては、お市の方の辞世の句は「ほととじすが誘うから別れをしないといけないこと」、勝家の辞世の句が「儚い生涯であったが、自らの名を後世に語り継がれるよう、雲の上まで運んでほしいこと」との意味で辞世の句を残しました。

このように、2人ともほととぎすに思いを乗せていること、勝家の辞世の句がお市の方の辞世の句に応えるように詠まれたことから、2人の仲は悪くなかったと考えられます。

最後に

歳の差婚を経て、生涯を終えた柴田勝家とお市の方。勝家にとって、好意を持っていた相手と結婚できたことは、それが秀吉の作戦だったとしても至上の喜びだったに違いありません。

また、お市の方も無骨ながら愛を注いでくれた勝家と共に添い遂げられたことは、秀吉に一矢報いることができたとひそかに思っていたのかもしれませんね。

 

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