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女が悪いか、男が流されやすいか…禁断の愛が生み出した平安初期の危機「薬子の変」

女が悪いか、男が流されやすいか…禁断の愛が生み出した平安初期の危機「薬子の変」

歴史において、女性は表舞台に出てこない……。いつも政治を動かしているのは男性ばかり……。みなさんはそんなイメージを持っていませんか?

確かに、教科書に出てくるような人物には男性が多いかもしれませんが、その裏には女性たちの力が大きく影響していることも多々ありました。

今回は、平安時代初期、事件の中心となった女性の名前がついた「薬子の変」について詳しくご紹介していきたいと思います。

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「平安京」と名付けられたけれど

桓武天皇が794年(延暦13年)、都を長岡京から山背国(やましろのくに:現在の京都市)に移し、「平和で安らかであるように」との願いから「平安京」と名付けました。桓武天皇の皇太子である安殿親王(あてしんのう)に輿入れすることになったのが、藤原薬子の長女でした。

長女の付き添いとして薬子自身も東宮に入ったのですが、ここで禁断の愛が生まれてしまいます。安殿親王はなんと輿入れしてきた長女ではなく、その母(つまり薬子)と不倫関係に陥ってしまうのです。これを知った桓武天皇は激怒。薬子は朝廷から追放されてしまいます。

藤原薬子、再び戻ってくる

806年(延暦25年)、桓武天皇の崩御に伴い、安殿親王が平城(へいぜい)天皇として即位します。すると、藤原薬子が天皇のそばに戻ってきます。天皇により高い位をもらい、寵愛を受け、藤原薬子の兄の藤原仲成とともに権力を持つようになります。

平城天皇は疲弊していた財政などを立て直したり、父・桓武天皇を超えることに一生懸命になるあまり、わずか3年で病気になり、退位してしまいます。続いて、平城上皇の弟「嵯峨天皇」が即位しました。

2ページ目 藤原薬子としては面白くない! 〜 薬子の変が起きる

 

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